メイン展示
1 先史時代のくらし -よその世界とのかかわり-
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旧石器、縄文、弥生の各時代において、よそから人が移動してきて五木谷に人が住んでいた。とりわけ縄文時代には、山の麓から川岸に居住地の移動がみられ、狩猟採集漁撈に依存したくらしをしていた。また弥生時代に建てられた住居跡が、山の麓で見つかっていることから山の弥生人の存在が示唆される。
2 中世・近世のくらし -藩による統治と村人-
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中世には川岸や山の中腹に集落を構成していた。これらの集落には地頭(ダンナ)と呼ばれる大規模な山林所有者がいて集落をまとめていたが、時代とともに人吉藩の統治に組み込まれていった。人びとは、焼畑で作られるムギやアワ、ヒエを主食にして、小物成(米以外の作物)や焼畑のあとに栽培する山茶などの交易により得た現金を焼畑の税金として上納していた。
3 近代のくらし -変わりつるある社会-
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佐々木高明のまなざし-1600x1067.jpg)
焼畑のサイクル-1600x1067.jpg)
さまざまな生業の組み合わせ-1600x1067.jpg)
信仰・儀礼・芸能-1600x1067.jpg)
1896(明治29)年4月に五木村役場が誕生した。村人は、焼畑を中心にして狩猟・採集・漁撈、養蜂、畑作、水田稲作、畜産などに炭焼きや林業を組み合わせて生活し、儀礼・信仰や芸能をとおして精神世界とつながっていた。一方で、第二次世界大戦後の高度経済成長期には炭焼きの衰退や林業の拡大、そして焼畑の消滅など、貨幣経済の浸透により自給的なくらしは大きく変容してきた。
- 佐々木高明のまなざし 1958-1960年頃の村の姿
- 焼畑のサイクル
- さまざまな生業の組み合わせ
- 信仰・儀礼・芸能
4 現代のくらし -受け継がれる山の力-
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村では、高齢化・過疎化が進み、総人口が千人をきる一方で、新たな動きもみられる。在来の柑橘くねぶや赤ダイコンほかの地場産品が道の駅で販売され、中学校の生徒や地元の農林業家などが協力しあって、村の古くからの文化であった「焼畑」が再生された。村は、外部社会のさまざまな影響を受けながらも、森や水の恵みとともに独自の未来像を創造しようとしている。
そのほかの展示

空から見た五木村
五木村の特徴ともいえる急峻な地形を、立体模型と映像で見ることができます。人びとはどのように暮らしているのか、鳥の目で見ることで五木村の生活が垣間見えます。
民具の塔
衣食住や生業の現場で使われてきた生活の道具を、立体展示したタワーです。さまざまな展示物を通して、五木の人びとのくらしを感じることができます。


子守唄の部屋
五木村で古くから歌い継がれてきた「正調 五木の子守唄」のメロディを、ゆったりとソファに座ってご鑑賞いただけます。熊本県内を中心とした各地の郷土玩具も展示しています。
古民家模型
五木村出ル羽地区の伝統的な家屋を模型で紹介しています。民具の塔の裏の階段を登り、デッキから見下ろしてご覧下さい。

